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大阪高等裁判所 昭和30年(ネ)486号 判決

控訴人(被申請人) 株式会社神戸製鋼所

被控訴人(申請人) 福井康吉

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の本件仮処分申請を却下する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠関係は(中略)……と述べたほか原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

理由

被控訴人は昭和二十一年十月二十八日控訴会社に雇い入れられて尼崎工場で伸線工として勤続しその後配置転換により昭和二十九年一月二十一日から、製型工として本社工場に勤務したものであるが控訴会社に雇い入れられるに際し自己の学歴としては大阪市立日吉高等小学校を卒業しただけであるのに大阪府立市岡中学校卒業と前歴を詐称したこと及び控訴会社が昭和三十年一月二十六日被控訴人に対し重要な前歴を偽つたという理由で現行就業規則第七一条第五号を適用して被控訴人を懲戒解雇する、但し情状により同規則第六八条第二項第四号但書を適用して退職を勧告する、三日以内に任意退職を申し出でないときは解雇する旨を被控訴人に通告したが、被控訴人において同月二十九日を経過するも退職を申し出でなかつたので、控訴会社が同月三十日付を以て被控訴人を就業規則第八二条第六号により解雇する旨被控訴人に告知したこと及び現に控訴会社とその従業員との間に効力を有する就業規則第七一条第五号第八二条第六号に被控訴人主張の規定がなされていることはいづれも当事者間に争いがなく、現行就業規則第七一条は懲戒解雇事由を制限的に列挙しこれに該当する犯則事実が認められる場合であつても規定違反の程度が軽微であるが、特に情状しやく量の余地があるか又は改しゆんの情が明らかであるときは懲戒の程度を軽減することができる旨就業規則第六七条第二項に規定されているところ、控訴会社が就業規則第七三条の定める手続に従い会社側委員及び労働組合側委員各三名宛より構成された懲戒委員会が昭和三十年一月二十二日なした評決に従い被控訴人が右学歴を詐称したのは就業規則第七一条第五号の重要な前歴を偽り、その他不正の方法を用いて雇い入れられたと規定する懲戒解雇事由に該当するものと認め且つ就業規則第六七条第二項の軽減規定を適用すべき情状ないものと判断し同規則第六八条第二項第四号に懲戒解雇は予告期間を設けないで解雇する。但し情状により退職を勧告し事前に退職の機会を与えることがあると規定せる但書を適用して前記退職勧告を発したことが各成立に争ない疏乙第七号同第十号各証により疏明される。

ところで被控訴人は専ら筋肉労働に従事する工員として雇傭されたもので高等小学校卒業か中学校卒業かの学歴如何の如きは従業に全く影響なく且つその後伸線工、製型工として既に八年以上勤続しており、控訴会社に対し実質的に全く何等の損害も与えていないから被控訴人の詐称した学歴は就業規則第七一条第五号に所謂重要な前歴に該当しないと主張するのであるが、各成立に争のない疏乙第一、二号各証並びに当審における被控訴本人尋問の結果によれば被控訴人が昭和十三年出征し昭和二十一年六月中華民国から帰還した年令二十九才の未経験労務者として同年十月製鋼事業を目的とする控訴会社に就職を申入れたことが疏明せられるから、被控訴人の場合その最終学歴が使用者側において採否を詮考するに当り人物評価の尺度として重要視したと否とに拘わらず被控訴人個人の教育程度を示す重要な前歴事項に該当するものと解すべきことは疑がなく、この点につき被控訴人が自己に有利な評価を期待して前記最終学歴を偽わつたものであることが被控訴本人の当審における供述により認められるから、被控訴人が控訴会社の従業員として採用せられその身分を取得すると同時に右規則第七一条第五号所定の懲戒原因発生するものとゆうべきである。そして前示疏乙第十号証及び成立に争ない疏乙第六号証によれば控訴会社の現行就業規則が昭和二十七年五月一日実施される前、昭和二十三年三月一日実施された旧就業規則及びその以前労働基準法施行前においても現行就業規則と同一の制裁解雇規則が控訴会社とその従業員との間に協定実施されていたことが疏明されるから、被控訴人の前記前歴詐称が前示疏第七号証により控訴会社に発覚したと認むべき昭和二十九年十二月頃までの間右犯則事態が継続しつつあつたものとゆわねばならない。

そこで本件懲戒解雇処分が果して被控訴人の主張するように就業規則第六七条第二項のしやく量軽減規定を適用すべき前記情状があるのにこれを無視し不当にその適用を排除してなした懲戒権の濫用であり、就業規則の解釈適用を誤つた違法があるか否かにつき判断する。

前示疏乙第一、二号各証、同第七号証及び原審、当審における被控訴本人の各尋問の結果によれば被控訴人が昭和二十一年六月中華民国から引き揚げたが、大阪で職を求めるに当り、知人も保証人もないところから容易に職を得ることができないので、困惑の余り中学校卒業と履歴書に書けば就職に有利であろうと考え浅慮にも学歴を偽わり履歴書を差し出したのであるが、面接した控訴会社の人事係員が計らずも被控訴人と軍隊での知合であつて、即日身体検査を終えて採用を告知されたこと、終戦直後の社会経済事情の混頓時において一般的に道義観念の低下していたことは蔽い難く、被控訴人が入社以来平工員として専ら筋肉労働に従事し格別の事故なく八年以上に亘り勤続したことが疏明されるけれども、ひるがえつて、前示疏乙第二号証、同第六、七号各証、当審証人平井公喜の証言により真正に成立したことが認められる疏乙第八号証及び証人西尾実の証言と被控訴本人の当審における供述とを綜合すれば被控訴人の勤務成績が終始、作業能力及び勤怠の点において同僚工員の標準に劣つていること、控訴会社の早くから実施して来た賃金規則に未経験労務者の雇い入れの際の日給額に中学校卒業者と国民学校卒業者との間に後者の修業年限四年の差が設けられていて、被控訴人の勤務成績が右のとおりであるのに中学校卒業者としての取扱を受けて右勤務年限を通じ計金四万円余の賃金過払を受けて来たのであるが被控訴人が永らく労働組合の執行委員に選ばれて、従業員の右労働条件については心得えて置かねばならない地位にあつたこと、被控訴人が入社以来多数の組合員が前歴詐称により退職を命ぜられて来たのであるが被控訴人において昭和二十九年一月更に同一学歴を偽わり本社工場に転勤したことが疏明される。しかして前記懲戒委員会において被控訴人の利益、不利益の前記各情状を逐一討議し殊に被控訴人が昭和三十年一月十五日労働組合の役員である代議員選挙に当選し更に同月十七日行われた常議員選挙に第二位で当選した直後において被控訴人を解雇することが果して妥当なりや否やにつき審議の経た結果組合側委員が就業規則第六八条第二項第四号但書を適用することを条件として会社側委員の解雇意見に同意したので控訴会社が右懲戒委員の評決に従い、しやく量軽減を行わず被控訴人を解雇処分に付することを決定するに至つたことが疏明される。

叙上の事実関係に基いて考察するときは控訴会社が被控訴人に対し前示しやく量軽減規定を適用して懲戒の種類を変更する措置を採量することなく、敢えて八年間平工員で勤続した被控訴人を解雇の懲戒処分に付したことが必ずしも一般社会観念に照らし著しく妥当を欠くものとして就業規則により使用者に委ねられた制裁権の適正な行使の範囲を超越する違法あるものと解することができない。尤も前示疏乙第六号証及び当審証人平井公喜の証言によれば控訴会社において昭和二十一年より昭和三十年に至る間前歴詐称により解雇又は勧告による退職となつた者は総数九十一名であるが、その殆んどが入社一年以内に処分を受けており、被控訴人の如く八年前の事由に基き処断解雇された事例は全く稀有であることが疏明されるけれども先きに疏明せられた各事情の下においては控訴人が被控訴人を解雇処分に付したことを目して、正義公正の観念に悖る解雇権の濫用と即断することはできない。

被控訴人は更に被控訴人が前記常議員選挙に第二位で当選した途端に解雇されたのであつて、控訴会社は被控訴人の些細な前歴詐称に藉口し、真意は被控訴人の活溌な組合活動を忌避する意図で解雇したことが明白であるから、本件解雇は不当労働行為として無効であると主張するのであるが、労働者が行う労働組合の正当な行為とは全く関連性のない事項に亘る労働者の使用者に対する個人的背信行為が就業規則の懲戒解雇事由に該当するとき当該犯則労働者に対し懲戒手続を開始するにつき別段の制限が就業規則に定められていない限り、使用者は何時でも懲戒権を行使し得べく、右犯則労働者個人としては偶々自己が正当な組合活動を活溌に行つたからというて、使用者の不当労働行為を理由に懲戒処分の効力を否定することは許されないものと解する。けだし労働組合法第七条第一号は労働組合の正当な行為をした組合員に対し、かかる行為をしなかつた組合員とを区別してその取扱を異にし特別な地位の保障を与える法意でないと解すべきであるからである。従つて本件懲戒解雇処分が有効と解すべきものである以上被控訴人の前記主張は他の点につき判断するまでもなく理由のないことが明かである。

してみれば控訴会社が被控訴人に対してした本件懲戒解雇は有効であつて、昭和三十年一月三十日限り被控訴人と控訴会社との間における雇傭関係終了したものとゆわねばならない。従つて解雇処分が無効であることを前提とし双方間に争ある右雇傭関係の存続につき被控訴人が控訴会社の被傭者である仮の地位を保全する必要上右解雇の意思表示の効力を停止する旨の仮処分命令を求める被控訴人の本件申請は結局その前提をなす本案請求が理由ないことに帰するから仮処分理由の有無につき判断するまでもなく不適法として却下を免れない。

以上と異れる見解の下に被控訴人の申請を容れそれと同旨の仮処分を命じた原判決は不相当であり、本件控訴は理由があるから原判決を取り消すべきものとし、民事訴訟法第三八六条第九六条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松村寿伝夫 竹中義郎 南新一)

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